第92回  日本庭園に学ぶ共生コンピューティング

竜安寺石庭の謎に迫る

見る人に癒しをもたらし、禅の“無”の境地へ導く枯山水の名園として、世界的に知られる龍安寺石庭。 その作庭のルールと石の配置に隠された意図をさぐる、 日本庭園に学ぶ共生コンピューティングとは?
龍安寺石庭

龍安寺石庭

 広さ75坪(およそ幅25m、奥行き10m)に15個の石が5群に配置されている。基本は3石または5石の奇数個だが、例外的な2石が2カ所設けられ、錯覚の効果が伺える。また、手前から奥に向けて地面と屋根が傾斜しており、水はけという実利と同時に、遠近効果をもたらしている。

水を使わず、石と白砂だけで山海の風景を表現する枯山水庭園。作庭のルールでは、3石または5石を基本として石群を配置します。枯山水庭園の代表例とされ、高い芸術性が評価されている京都の禅寺「龍安寺」の石庭では、例外的に2石も配置されています。そして5、2、3、2、3の5群に配置された15個の石は、各石群のなかで、さらに石群を超えた形で、大きさの異なる鈍角不等辺三角形を繰り返し形成しているのです。

こうした設計の基本的ルールと隠された作者の“作為”を探り、コンピュータグラフィックス(CG)で枯山水庭園を再現しようという研究が行われました。石庭の15個の石は見る角度により、必ず1つが隠れるように配置されていますが、1カ所だけすべて見ることができる最適観賞ポイントがあります。アイ・トラッカー(眼球運動計測装置)を装着して廊下を自由に歩きながら観賞し、最終的に最適だと感じる場所で止まってもらう実験を行ったところ、10人の中8人がこの最適観賞ポイントで止まるという結果が得られました。また、彼らの視線がどのように動いているか分析すると、視線が三角形を形成していること、例外的な石の配置のところに視線が集中し、かつ乱れており、鑑賞者の意識が集中し、困惑している様子などが明らかになりました。

見えるはずという思いと見えない現実の間に認知(視覚)的不協和が存在し、無意識に三角形から三角形へと視線をはわせ、見えない石を探しているうちに最適観賞ポイントへ導かれているのではないかと考えられます。また、繰り返される三角形のサイズをプロットすると、人に心地よいとされる“f分の1ゆらぎ”のリズムを構成していることもわかりました。

人の注意や興味を引き起こすこれらのエッセンスは、デザインや建築用ソフト開発をはじめ、人と共生するコンピュータネットワークの構築に活用が期待されており、現在、石庭の設計に隠された謎のさらなる分析が続けられています。

 

蔡 東生 准教授
筑波大学 システム情報工学科

蔡 東生 准教授

 芸術を科学的に理解するために、謎解きに挑む

この研究は、枯山水庭園をCGで再現したいという学生の思いから始まりました。竜安寺石庭は、「7つの謎」といわれるように、いつ、だれが、どのような意図でつくったのか、わからないことだらけです。しかし、実験を通して見えてきたことがさまざまにあり、少なくともかなり緻密に計算された設計であろうと推測されます。 石庭は、15個の自然の石を配置するだけで芸術を体現しています。人が何に感動するのか、美しいと感じるのかということは、人それぞれでもあり、アルゴリズム化(定式化)し難いものです。シンプルながら、複雑な要素をもったこの庭を研究することによって、人が感動する芸術の1つの形態を科学的に理解し、アルゴリズム化するためのヒントを抽出できると考えて研究を進めています。

 

トピックス

 “f分の1ゆらぎ”のfはfrequency(周波数)の頭文字です。星の瞬き、ろうそくの炎の揺れ、そよ風、心拍などに“f分の1ゆらぎ”が見られ、人に心地よさを与えていると言われています。たとえば、時間の経過と共に変化する星の瞬きをグラフ化すると、ある波形が得られます。そして、全体(長時間)の波形と一部分(短時間)を拡大した波形がとても良く似たものになるそうです。つまり、細かい波形の繰り返しが良く似た大きな波形を形成していると言えるのです。これはフラクタル(自己相似性)と呼ばれ、“f分の1ゆらぎ”、すなわち心地よさの重要な特徴なのです。そして、フラクタルは木々、山の風景、雲の形など自然の造型に数多く見られます。たとえば1本の木は幹から枝が生え、枝からは葉が生えていますが、そこには小さなパターンから大きなパターンへと同様の繰り返しを見ることができます。龍安寺の石庭は、わずかな石だけを使って自然界のフラクタルな造型を再現し、見る人に安らぎを与えていると考えられます。

 

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