第40回  葉緑体ゲノムに学ぶ有用物生産

コケの葉緑体でつくるタンパク質ワクチン

およそ35億年前に太古の海に芽生えた生命体から、やがて藻類が生まれ、光合成の能力を高めて陸上で多様化した植物たち。その進化の秘密をにぎるカギ、葉緑体のゲノムに学ぶタンパク質の生産とは?
ヒメツリガネゴケの葉緑体

ヒメツリガネゴケの葉緑体

 胞子が発芽して、細長い原糸体(プロトネマ)が伸び、コロニー(群生)を形成する。成長すると草のような茎様体となり、受精して胞子体ができる。これが1世代で2、3カ月で世代交代する。写真は原糸体を生物顕微鏡で撮影したもの。細胞がつながっており、1つの細胞には30~40個の葉緑体(緑の粒状)が存在する。 撮影協力:オリンパステクノラボ東京

植物細胞の中に存在する核、葉緑体、ミトコンドリアはそれぞれ固有のゲノム(遺伝情報)を持っています。一般に、植物の遺伝子組換えは核ゲノムに対して行われていますが、葉緑体ゲノムを利用する研究も活発化しています。葉緑体にはもともと、同じDNAの塩基配列を認識して取り込む性質があるためです。これは、葉緑体の祖先と言われるラン藻(シアノバクテリア)が本来もっている性質です。植物のもとになった細胞がラン藻を取り込むことで光合成能力を身に着け、進化・多様化してきた植物の生態そのものを表しているのかもしれません。

そんななかで注目されるのが、コケの葉緑体を使った研究です。コケはシャーレ上で容易に栽培でき、数十リットルという単位での液体培養も可能です。また、葉緑体は母性遺伝で遺伝子が花粉によって拡散しないという特徴もあり、コケの場合、小規模設備でコントロールしやすいというメリットもあります。 数年前に、ヒメツリガネゴケの葉緑体ゲノムの全塩基配列が決定され、どこにどのような遺伝子が存在するのか明らかにされました。これによって、遺伝子発現の分子メカニズム研究が進展し、たとえば光合成能力をアップした第2世代植物の開発へとつながることでしょう。同時に、植物進化の謎の解明に、また一歩近づくのではないかと期待されます。すでに、タンパク質合成に関わる遺伝子を利用して、有用タンパク質を生産するための形質転換技術の開発にも成功しました。

数年前に、ヒメツリガネゴケの葉緑体ゲノムの全塩基配列が決定され、どこにどのような遺伝子が存在するのか明らかにされました。これによって、遺伝子発現の分子メカニズム研究が進展し、たとえば光合成能力をアップした第2世代植物の開発へとつながることでしょう。同時に、植物進化の謎の解明に、また一歩近づくのではないかと期待されます。すでに、タンパク質合成に関わる遺伝子を利用して、有用タンパク質を生産するための形質転換技術の開発にも成功しました。

この技術を利用して、現在、ワクチンを生産する実験なども開始されています。安全で、効率的にタンパク質を発現させるためには課題もまだありますが、葉緑体ゲノムに遺伝子を導入した場合には、核ゲノムへの導入に比べて発現効率が数百倍高いことも報告されています。コケ植物を利用した葉緑体工場でタンパク質の大量生産が実現すれば、薬品コストの低減にも確実につながります。それは、必要とする薬が行き渡らない地域で暮らす人々にとって、大きな恩恵をもたらすことになるのではないでしょうか。

 

杉田護 教授
名古屋大学遺伝子実験施設 遺伝子解析分野

杉田護 教授

 植物のゲノム間コミュニケーションを解明する

私が学生だった頃、アメリカで遺伝子組換え技術が開発され、それに触発されてこの分野に進みました。10年前に自分の研究室を立ち上げたときに、コケ植物を対象に選んだのは、海から最初に陸に上がった植物と言われるコケには、昔の名残が残っているのではないかと考えたからです。進化の過程を調べるためにも、コケの研究をやりたいと思ったのです。 外部機関の協力も得て、およそ2年かけてヒメツリガネゴケ葉緑体の全ゲノム塩基配列を決定しました。葉緑体は光合成という重要な仕事をしていますが、実は、核遺伝子がその働きに大きな役割を果たしていることもわかりました。呼吸を司るミトコンドリアの働きにしても同じです。核と葉緑体とミトコンドリアがコミュニケーションしながら、細胞としての働きを保っている。ゲノム同士がどう作用しているのか、突き止めたいですね。

 

トピックス

 1992年、最古の地球と呼ばれる西オーストラリアピルバラ地方で、35億年ほど前の生物の化石が発見されました。それは、体長100分の1ミリメートルにも満たない、ラン藻(シアノバクテリア)でした。地球の太古の海で生命が誕生したばかりの頃、大気には酸素が無く、高濃度の二酸化炭素で満ちた空は厚い雲で覆われていたと言われています。やがて陸地ができ、二酸化炭素が海水に取り込まれるようになると、太陽の光が海に差し込むようになったのです。そこで登場してきたのが、太陽光を利用して水と二酸化炭素から酸素と糖をつくる光合成の能力をもった生物。つまり、植物の祖とも言われるラン藻なのです。 ラン藻によって、地球の大気に酸素がもたらされ、やがて植物が上陸を果たすことで酸素量はどんどん増加しました。そして、酸素と植物の恵みを糧として陸上で生活する動物の誕生へと、生命は進化・発展をとげてきたのです。